勉強科目としての“歴史”は苦手だけれど、ご高齢者の話で日本の歴史を垣間見て静かに鳥肌が立った話

昨日一緒だった女性が話してくださったこと。

ある医大が中国から看護師の研修生を受け入れた。その際、息抜きに体を動かそうとなって民謡の家元さんを呼んでみんなで習った。 

研修に来ていた中国の方々は大変優秀な人たちで、踊りも上手だった。関係者で着物や帯をあつめて踊った。大事な研修生に怪我をさせてはいけないので、草履は履かずに運動靴に着物だった。足元は見えないからいいよね?(笑)と。

研修生は2年間で30人×3回、計6年間受け入れた。その後、医大の関係者の方と一緒に今度は自分が中国へ行った。なんと現地で、あの時一緒に踊った民謡で歓迎してくださった。大層感激した。 これが本当の国際親善ではないかと思う。下の者同士が交流する。本当に楽しかった。 


今日一緒だった男性が話してくださったこと。

ロシア歌謡の「カチューシャ」。原語で歌える。シベリア抑留時代に、耳で聞いて覚えた。そもそも言葉を覚えなきゃいけなかったし。 

向こうには丸4年いた。二人一組で仕事をさせられる。しかし最終的には一人でやらせてもらえるようになっていた。 踊りを習える機会もあったが、その頃にはもう日本に帰るとなって、それで頭がいっぱいだったから覚えられなかった。  

その人が生きてきた軌跡と、今と
実は私もこの「カチューシャ」を原語で歌えます。といっても発音が悪く「カタカナ英語」ならぬ「カタカナロシア語」なのですが。。小学生のときに習った1番の歌詞を、なぜかずっと忘れずに覚えています。
まさかそれが、将来仕事で役に立つ時が来るとはまったく思っていなかった。

「なんで原語で覚えるのかな~、難しいな~」なんて呑気に覚えた私とは全く違う環境でこの歌を覚えたご本人は「そうそう、ロシア語で歌えるよ!」と(少なくとも表向きは)明るくおっしゃっていました。

中国の方と日本の民謡で交流した女性。シベリアで「カチューシャ」を覚えた男性。 
お二方の話を聞いて改めて、こういう方々が積み上げてきた歴史の上に今があるのだとじーんと感じます。今が良い時代なのか悪い時代なのかはさておき、ただただ、今ここに自分が在るという状況は先人なくしてはなかったのだと。当たり前といえば当たり前のことに、感謝のような尊敬のような感情が静かに湧きます。 

ちなみに「ような」と書いているのは、この表現に完全にしっくりは来ていないから。でも近い感情なのだと思います(余談ですが、こういうのって尊敬しなさいとか感謝しなさいとか人から言われてもピンとこないですよね。他の誰がどうであるかは関係なくて、私自身がとにかくそう感じたという話)。 

そして、そこには歌があったのだと。
歌はこれからも、誰かの人生を紡ぐんでしょうか。

死の悲しみに寄り添われて

2週間ほど前、飼っていた猫が亡くなった。
6歳と10ヶ月だった。私にとっては早かったが、本人(猫)にとってはどうだったかはわからない。
先天性(遺伝子疾患)と思われる病気があったので、亡くなるまでの2年ちょっと介護が必要な状態だった。

以前私は友人とルームシェアをしていた。その友人のつてで猫は我が家にやってきた。
シェアを解消する日が来たら友人が引き取る予定だったが、事情があって私が引き取ることになった。
私が一人で看ることになった時点で、彼(猫)は後ろ脚に麻痺が出ていて、排泄もうまくいかない状態だった。

一人暮らしになってすぐ、彼にあわない薬を飲ませてしまったことがあった。
明らかに危ない状態の彼を見て、夜間救急を受け付けている病院に駆け込んだ。
泣けてきた。私のせいで彼を危険にさらした。
これからもその責任は私がとり続けるのだ。もしものことがあったら、猫にも友人にも申し訳ない。
私がしっかりしなければ、と。

そんな心境で看続けた2年弱。
亡くなったタイミングは私の予想より早く、それはそれは動揺した。私が悪かったのだろうか。。

悲しみの中、メッセージやFB、直接お会いしたタイミングなどでたくさんの方から言葉をかけていただいた。 あたたかい言葉や眼差しに支えられた。
その中で周囲の方々にしていただいて特に嬉しかったことは

・かかりつけの動物病院で、先生やスタッフさんが多くを語らず体をきれいにしてくださったこと 
・亡くなった当日お会いできなかった主治医の先生があとから電話をくださり、「私も驚きました」「残念です」と先生自身の気持ちを話されたこと。私の話に対してはただ相槌のみで聞いてくださったこと
・供花をいただいたこと
・励ましや慰めの言葉無しに、ただ私の話を聞いてもらったこと
・猫と私の関係性に言及しない部分で感じていることを話してくださったこと 

猫を十分看てあげられたのかどうか自信がなかった私にとっては、「彼は幸せだったと思う」という言葉は励ましになった一方で、それ以上に何も言わずにいてくださることが本当にありがたかった。
あと、物(体をきれいにした際に巻いていただいた飾りのついた首輪や供花)も嬉しかった。

私にとっては早いタイミングの最期だったが、それが本人(猫)にとってもそうだったかはわからないのだと冷静に思えるようになった。

これはあくまで私の場合であって、たくさんの励まし、慰めの言葉が必要になる方もいらっしゃると思う。
だからこれは私自身が感じたことの備忘録として。

私は私がしてもらって嬉しかった形でしか他の方に返せないと思うので、いつか同じように感じる方の支えになれるように今の気持ちを覚えておきたい。

「リクエスト」という言葉の使い方

セッションの場面でよく使う言葉である「リクエスト」。
高齢者の現場では歌唱することが嚥下機能の維持向上に良いと言われている。
せっかく歌うなら好きな曲やよく知っている曲の方が歌いやすいし、歌っていて気分も良いのが一般的。
だからミュージックファシリテーターや音楽療法士はリクエストを募る。

「リクエスト募集します!ジャンルは問いません」
「お好きな曲があったら教えてください」

私自身もよく言っている。
…が、今使う言葉として「リクエスト」が本当に正しいのか、実は細心の注意を払いながら使っているというのが今回のお話。

リクエストとは?
あらためて意味を調べてみると、こんな風に出てくる。
リクエスト
[名](スル)要求。要望。特に、ラジオ・テレビなどの番組で、聴視者が特定の曲の放送を要求すること。また、その要求。「リクエスト特集」
出典:デジタル大辞泉

これをふまえて、参加者様とありがちな会話パターンを3つ載せてみる。

パターン①
柴田「Aさん、ありがとうございました」
A様「今日も楽しかったわ」
柴田「楽しかったですか、よかったです!」
A様「あのね、私リクエストしてもいいかしら」
柴田「もちろん、どうぞ」
A様「私ねぇ『北国の春』が好きなの」
柴田「北国の春、千昌夫さんですね」
A様「そうそう」
柴田「承りました。次回ご一緒に歌いましょう」
A様「お願いしますね」

このパターンでは、ご本人様が自ら「リクエスト」とおっしゃっている。

パターン②
柴田「Bさん、ありがとうございました」
B様「いやぁ、思いっきり声を出せてすっきりしたわ」
柴田「すっきりしましたか、それはよかったです。ところでBさん、次回歌いたい曲はありますか?」
B様「そうねぇ、私は『古城』が好きで…三橋美智也の」
柴田「古城、♪松風騒ぐ~ ですね!」
B様「そうそう!それ次回お願いしてもいいかしら」
柴田「はい、承りました。次回ご用意しますね」

このパターンでは「リクエスト」という言葉は出てこないものの、
「歌いたい曲はありますか?」の問いかけに対し「(『古城』を)お願いしてもいいかしら」と参加者様が答えている。

パターン③
柴田「Cさん、ありがとうございました」
C様「こちらこそありがとうございました」
柴田「もしよければ、次回歌いたい曲はありませんか?」
C様「そうねぇ…私なんでも好きなんです」
柴田「なんでもですか…あ、さっき三波春夫さんがお好きっておっしゃっていましたね」
C様「はい、好きです」
柴田「じゃあ『チャンチキおけさ』なんてどうですか?」
C様「ああ、いいですねぇ」
柴田「ありがとうございます!次回ご用意しますね」

このパターンでは、参加者様から「リクエスト」も「お願い」もされていない。
私が提案し、参加者様はそれに対し「いいですねぇ」と同意をしただけだ。

実は気軽に「リクエスト」と使っていませんか?
私はパターン①、②のとき「リクエスト」という言葉を使うことがあるが、パターン③では使わない。
③は明らかにリクエストされていないから。

しかし毎回の選曲に悩んでいるときや、普段口数が少ない方とお話しできたときなど、ついつい嬉しくなって「やった!具体的な曲名を引き出せた!リクエストだー!」と思ってしまうこともあると思う。
そして記録や次回のプログラム案に張り切って書き込む。「C様から『チャンチキおけさ』をリクエストいただきました」
当日も「Cさんからリクエストいただきました!『チャンチキおけさ』です!」と意気揚々と提示。

当のC様は…

「えっ?リクエスト?したっけなぁ。確かに三波春夫は好きって言ったかもしれない。
でもリクエストなんてそんな大げさな。みんなの前で出しゃばっているように見えたらどうしよう。
そんなつもりで言ったわけじゃないのに」

なんて思っているかもしれないなぁと思う(必ずしもそうではないかもしれないけれど)。

リクエストは何のため?
そもそもリクエストをいただいたから歌うのではなく、
リクエストをいただいた=ご本人にとって好きだったり、馴染みがあったり、思い出深い曲だったりするから歌うのだと思う。
そこでパターン③のときは、こんな風に曲を提示している。

「先日Cさんとお話ししていたら三波春夫さんがお好きとのことだったのですが…他にもいらっしゃいますか?三波春夫さんがお好きな方。あ、Dさんもお好きなのですね!三波春夫さんがお好きなら一緒に歌いたいなぁと思って『チャンチキおけさ』をお持ちしてみたのですが、いかがでしょうか?」
私が一緒に歌いたいからご用意した、というスタンスだ。

パターン①、②でもご自身がリクエストしたことを公表されたくない方の場合は、「北国の春がお好きな方がいらっしゃると聞いたので」とお伝えするのも良いのではと思う。

みなさまの現場ではどんなリクエストが出るだろうか。
参加者様の好きな曲、馴染みのある曲、思い出深い曲。これからもどんどんご一緒していきたい。

健康に迎えた新年、感謝と振り返り

明けましておめでとうございます!
昨年、元旦未明に胃腸炎で病院に駆け込み文字通りの「寝正月」になった私。
今年は無事元気に年を越して、実家でおせちをいただきました。 よかった。 

昨年は夏以降、自分の中に色々と変化のあった年でした。 
密かにずーっと問い続けている「音楽療法とは何か?」という問いに対しては、今までと少し違う向き合い方ができたような気がします。
 
音楽が好きな人にも、そうじゃない人にも
物心ついたときから常に傍にあった、音楽。
仕事も趣味も音楽な私ですが、その位置づけは当然人それぞれなわけで。 
歌うこと、演奏すること、聴くことが好きな人もいれば、そこまで積極的に好きじゃない人もいます。 
「音楽はみんな喜ぶ」「音楽は魔法」それは音楽が好きな人の理屈なんだと、ずっと思っています。

それでも人間にとってここまで身近なツールであるということは、何か普遍的な役立ち方があるのだろうと思うのです。 
たとえば、記憶と密接に結びついているということ。無条件にこみ上げる「懐かしい、、!」という感覚。 それから「ああ、知ってる」という安心感。 
介護現場で音楽を用いるには欠かせない要素です。

音楽好きな人にも別にそうでもない人にも、音楽を活かす。 ツールとして考えているからこそ、提供の仕方が重要です。 
流せばOK、演奏すればOK?いやいや。
音楽をきっかけに何を起こすのか。どうやって起こすのか。

音楽によって人が心を開く可能性があるのなら、この「どうやって」は本当にデリケートな点だと考えています。 
音楽がどうの以前に、人対人のことですから。
もちろんその前に「何を」を定めねばなりません。  

介護を必要とする方、その家族の方、事業所の管理者や職員の方、同じフィールドで仕事をされている方…
SNSでつながっている方々、リリムジカメンバーや家族、友人、大切な人などなど、みなさんとの対話と内省を大事に前に進む1年にしたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします!

幸せなら手をたたきたいのか問題

坂本九さんの名曲「幸せなら手をたたこう」。
この曲を一度も聞いたことがない人を探すのは難しいと思う。みんな知っていて、みんな歌える。

この「みんな知っていて、みんな歌える」というのは、複数の人間が集まって歌を歌うときに非常に重宝する。私自身、プログラムの一番最後の曲は「ふるさと」にすることが圧倒的に多い理由はここにある。認知症が進んでいて会話が難しい方も、若い職員さんも、みんな歌える。そして、歌っていると様々な声が集まる。「何度歌ってもいい曲だと思う」「おれは東京出身だからいわゆる“田舎”がないけど、それでもこの曲はなんだか心に沁みる」…ふむふむ。「歌ったなぁ」という実感を得ると共に、心に残る何かをじーんと感じるのにやっぱりこの曲が適しているな、と思ってまた「ふるさと」を使う。

では「幸せなら手をたたこう」はどうか?

幸せなら手をたたきたいのか問題
正直、私はこの曲を介護現場では滅多に使ってこなかった。使えないのだ。

だって、歳をとって体も頭もいうことをきかなくなってきてるなぁと実感している人が、自分より若くて元気で(もしかしたら)幸せそうな人から「はーい、幸せなら手をたたきましょう~!ポンポン!」とか言ってこのこの歌を歌われたらどう思うのだろう?いや他の人がどうかはわからないけれど、私だったら嫌だ。「幸せならって、、幸せじゃないよ!」と思うかもしれない。あるいは「まぁ幸せだけど、私よりずっと若い小娘のあなたに言われる筋合いはないわ」と思うかもしれない。え、ひねくれていますか?(笑)
この歌は曲調が明るい。明るい歌を目の前に、幸せじゃなさそうな顔をして手拍子をしない自分は周囲から「空気読めないなぁ」などと思われるんだろうか…なーんて考え始めたら、他人は他人、自分は自分と思っていても、やっぱり居心地が悪くなるんじゃないかと思う。

今想像するだけで嫌なのだから、歳をとったらもっと嫌になるかもしれない。逆に歳をとって感覚が変わることもあるのかも?どちらにせよ、現時点で自分が嫌だと感じることを人にはできなかった。

それなのに、この曲はそこかしこで「なんか楽しくてみんなで手拍子できてお手軽に使える曲だよね~」と多用されている気がする。そして「誰にとってもそういう曲でしょ?」という無言の圧力も感じられる(これは被害妄想だろうか?)。

「幸せなら手をたたこう」のルーツ
当たり前だけれど曲自体に罪はない。私はこの歌を明るくて素敵な曲だと思っている。私の生まれた群馬県太田市は、隣の大泉町に続いてブラジル人が多かった。クラスにはブラジル人が必ずいて、担任の先生が「幸せなら手をたたこう」の歌詞をポルトガル語に訳して教えてくれた。みんなで覚えて一緒に歌った。楽しかった。

私が引っかかっている「幸せなら手をたたこう」というフレーズはどうやって生まれたのか?ここに答えがあった。

1954年、当時、25歳の早稲田大学大学院生(木村利人さん)がフィリピンの農村でボランティアとしてYMCAのキャンプに滞在したときに、現地の一人の青年(TV放送では、ランディという名前で登場)と出会ったことがきっかけだったということです。
トイレづくり等の作業に奉仕していた木村さんを現地の人々は決して温かく迎えることはありませんでした。「死ね!日本へ帰れ!!」と厳しい言葉を向ける現地の人々の脳裏には、日本兵に村を焼かれ、家族や友人知人、あまたの人が虐殺された第二次世界大戦の傷が生々しく残っていたからです。ただ一人友好的な態度をとってくれていたランディも、実は大切な家族を目の前で日本兵に殺される経験を持っていました。

日本兵がフィリピンの人々に与えた取り返しのつかない罪の重さに打ちのめされた木村さんは、葛藤に苦しみながらも彼を受け入れようとしてくれたランディのやさしさに応えたいとの思いを募らせます。
現地の子どもたちが歌うスペイン民謡のメロディーを基に、互いに傷つき合いながらも、理解し赦しあうことへの希望を込めて作詞にあたった木村さんの心に浮かんだのが、聖書の次の言葉です。 (詩編47編) すべての民よ、手を打ち鳴らせ。 神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。

「日本は第二次世界大戦のような過ちを二度と繰り返さないために、戦争の放棄を誓い、平和構築の憲法をもった。でも、戦地の人々に与えた苦しみは海外に置き去りにしてきたのではないか」という番組の中のナレーションが私の心に重く残りました。
その後、「幸せなら 手をたたこう」は、"歌で世の中を平和にしたい。苦しんでいる人々に希望の光を届けたい"という多くの人々の願いと共に、さまざまな経緯を経て世界中に広がって行きました。

引用元:幸せなら手をたたこう~誕生秘話と平和への願い

想いは戦争からの平和にあり、歌詞のヒントは聖書の言葉にあった。
ようやくこのフレーズに納得した。

歌の背景に想いを寄せること
歌詞のルーツを知って、私にとってはますます「なんか楽しくてみんなで手拍子できてお手軽に使える曲だよね~」ではなくなった。でも、

楽しいと感じるかどうかは本人が決める。手拍子するかどうかも本人が決める。

そう思いながら、戦争から生まれた平和への祈りの歌だとわかって歌うのなら私にもできる。
今度現場で戦争の話が出たら、この曲をみなさんに提案してみようと思う。